9月21日に放送されたバラエティー番組『激レアさんを連れてきた。』に声優の木村昴さんがゲストで登場!
木村昴さんは知る人ぞ知る国民的アニメ『ドラえもん』のジャイアンの声優さんであります。
最近では『ヒプノシスマイク』通称『ヒプマイ』で大人気急上昇中です!めちゃくちゃかっこいいです!
激レアさんで紹介していた木村昴さんの声優になったきっかけなどまとめていきたいと思います(*^^*)
生い立ち
1990年6月29日生まれ現在29歳
ドイツ生まれで父親はドイツ人のオペラ歌手・母親は日本人の声楽家という音楽一家。7歳までドイツで過ごしていた。
性格は超目だちたがり屋のイケイケ!!
日本語はHIPHOPで学んだ
日本語の勉強のために母親にもらたCDがきっかけでHIPHOPを知るように。それまでクラシックばかり聴いていたので衝撃が走ったようです。よく聞いていたのはスチャダラパーやEASTEND。将来の夢はラッパーになること!
児童劇団に入団し小学生の頃、羽賀研二に似ているということでミニミニ羽賀研二の名前でものまね番組に出演していた。
ジャイアンのオーディションはモテたかったから
中学生になってイケイケになりたい!モテたい!と思うように。
中学2年生の時『ドラえもん』の声優一斉オーディションの募集が始まった。オーディションはどの5人のキャラクターどれを受けてもよく、木村昴さんはジャイアン一択。受けた理由は性格が一番近かったからとのこと。
1次審査受けて学校では注目の的に!それで満足だった木村少年だったが見事に1次合格し2次審査へ。
周りはてっきり子役で初めての人ばっかりと思っていたがプロの声優さんばかりで事の重大さに気づく。
2次審査はアフレコ。先代のものまねにならないこととご自身なりのジャイアンでということだった。
初めてのアフレコでやり方がわからなく劇団風に披露。すぐ審査員に止められた。
しかし2次審査も通過し最終審査へ。それぞれに残った5人で合わせてアフレコし、バランスを見てしっくりこなかったら1からオーディションをやりなおすという審査だった。
その時の緊張など取り払ってくれたのは映画「8Mile」主題歌エミネムのLose Yourselfだった。
最終審査は
審査員から似せなくていいと言われて
100点中7点と言われたが
結果はみごと合格!
合格してからは苦悩の日々だった
合格したことは情報解禁まで家族含め一切口外禁止。その期間は2か月。学校では結果待ちと言っていたが言いたくて仕方なかったみたいです(*^^*)そらそうだ!
その間は夜な夜な河川敷で猛特訓。
遠くのほうでトランペットで応援してくれる人がいたそうな、、
情報が解禁されジャイアンの声探しをするも、だんだん自身がなくなっていった。
ドイツ育ちだったので訛りがでたりも
2005年4月15日リニューアル初回放送が全国にながれました。世間からは「前のほうがいい」「観るのやめようかな」など言われていた。
初代ジャイアンのたてかべ和也さんに相談
豪快なやつだから思いきりやればいいとだけ言われたそうです。
ジャイアンリサイタル
ジャイアンは音痴キャラで、歌うまの木村さんには音痴に歌うのが難しかったそうです。
またしてたてかべさんに相談するもジャイアンは歌がすきだからねーと言うだけで何も教えてくれず、、
当時高校生だった木村さん。
たてかべさんを学園祭に招待し友達に先輩ジャイアンだと自慢したいと言ったところ
と言っていたのに、体育館から歓声が聞こえ見に行くとたてかべさんがジャイアンリサイタルを開催していた!!
木村さんいわく、たてかべさんは元々イケイケで自分でジャイアンって言いたかったようです。ジャイアン辞めてからも普段もジャイアンなんだって思い、自分もああなりたいっと心に思ったそうです。
ジャイアンの声=僕の声
ジャイアンの声優になって5年、来年小学生になる子たちにとっては自分の声がジャイアンの声になるんだと気づきました。
5年の間は技を集めていた時期で、ジャイアンというキャラクターは口先のお芝居で演じるのは無理と思い、音痴をやるんじゃなくてジャイアンとして楽しく歌えばいい、たてかべさんは生き様のことを言っていたんじゃないかと気づいていったそうです。
その後は自身をもって演じれるようになったそうです。
番組の最後の方ではヒプマイを紹介。ライブ映像も映り、キャーってなりました( *´艸`)
激レアさん初めて見ましたがめちゃおもしろかったです(*^^*)見逃した人は『TVer』『AbemaTV』『テレ朝動画』などで1週間見逃し配信されています。放送されなかった所も見れるのでぜひ!!